「海外移住の予定はない」
「一生日本で暮らすし英語なんて必要ない」
学生時代、多くの人たちから英語の重要性を僕は聞かされていました。
しかし、英語が得意ではなかった僕は、上記のような理由を言い続け、英語から逃げ切ろうと思っていました。
今でこそ日本に訪れる外国人も増え、彼らと日常的に接点を持つことも多くはなりましたが、まだまだ日本では英語ができなくても、イージーに生活ができます。
加えて、日本の企業に勤めていれば、英語ができなくても偉くなることは、十分可能だと思います。
現に僕が日本で務めていた会社の課長試験は、大手にも関わらず、TOEICのボーダーが470点と、まぐれでなんとかなるスコアでした。(TOEICがいいのかどうかはありますが)
しかし、そんな英語を避けてきた僕ですが、今は語学に興味がありまくりで、バイリンガルやトリリンガルの方を心から尊敬しています。
そして、憧れが強すぎた結果、大手メーカー会社員のブランドを捨て、イギリスに行くことを決断しました。
本記事では、なぜ僕が英語が大嫌いだったにも関わらず、英語に関心を持ったのか、その中でなぜイギリスに行くことを決意したのかについて述べたいと思います。
目次
旅先での不甲斐なさを痛感
初の海外ひとり旅
僕は就職浪人をし、学生時代の同期は皆仕事をしていたため、内定後は腐るほど時間がありました。
学校も部活もなく、とりあえずバイトと筋トレを続ける日々。
そんなときに、後輩たちが卒業旅行の話をしているのを聞き、ふと一人で海外に行くことに興味を持ちます。
そこから旅行ど素人の僕は、インターネットや本からの情報収集に命を懸けます。
しかし、長時間かけていろいろと情報収集をしたのにも関わらず、
「ヨーロッパ周遊している俺、かっこよくね?」
という調子にのった理由で、3週間のヨーロッパ周遊を決断しました。
楽しすぎたヨーロッパ周遊

「携帯の電波はどうするの?」
「電車の切符は日本で手配するべき?」
「両替はどこで?」
など、超初歩的なことすら何もわかりませんでした。
そのため、Google先生の力に頼りきり、中学英語と熱い気持ちだけを武器に、不安を抱えてままヨーロッパへ旅立つこととなります。
そんな不安の中でスタートした旅でしたが、カタコトの英語だけで意外と何とかなり、知識も土地勘も全くない異国の地で、ひとりでもすごく楽しむことができました。
アムステルダムのおしゃれな街並みと自由な雰囲気、爆音が気になり近づくと黒人の集団が爆踊りしていたブリュッセルの夜道、涙が出そうになるぐらい綺麗だったニースの夕日。
はじめて見る景色や食事、人の優しさに触れることで心が浄化され、同時に日本の素晴らしい部分にも気づくことができました。
僕は旅の魅力に惹かれました。
旅先での自身の不甲斐なさを痛感
旅は社会人になっても趣味にしようと心に誓いましたが、しばらくしても英語が拙い悔しさだけがどうしても忘れられず、心から習得したいと思いました。
自分の英語力が低いせいで、せっかく旅先で知り合った人に簡単な英語を使わせてしまったり、英語が得意な人同士の会話や議論になると、全くついていけないという場面がかなりありました。
これがめちゃくちゃ悔しくて情けなく、英語を絶対に習得したいと決意したきっかけです。
英語力に憧れ衝撃の同期との出会い
激動のひとり旅を終え、いよいよ社会人生活がスタートしました。
500人近い数の同期がホールに集めらた中で、僕の隣は韓国からの留学生と、ロンドンに留学経験がある同い年の男(以下K)でした。
話を聞くと2人とも同じ関西の大学出身で、寮も隣の部屋ということが発覚。
最初はお互い探るように話していましたが、すぐに意気投合し、研修期間は毎日一緒に生活するほど仲良くなるのです。
台湾旅での事件
毎日を一緒に過ごし仲良くなりすぎた結果、出会って数週間にも関わらず、GWを利用し、もう1人を加え4人で台湾に行くこととなりました。
Kは台湾留学経験があり、友達に会いに長期滞在するため、彼だけは別行動で現地集合。
そこで、僕が代表して他の3人分の航空券を手配したところ、うまく購入できているかわからず、(のちにカードが限度額を超えていたことが原因であることが発覚)旅慣れているKに相談しました。
すると彼は「電話して聞いてみるわ」とスマホ片手に番号を入力し、中国語と英語を駆使して、電話越しで航空会社スタッフと会話をします。
あまりのスマートさに僕は衝撃を受け、同時に自身の不甲斐なさを痛感しました。
僕はこれまで、帰国子女や留学経験者、英語が得意な友人とはたくさん接してきました。
しかしそれまで、目の前で流暢な英語を、しかも電話越しで話している姿を見せつけられたのは、よく考えると初めてでした。
もちろん彼にとっては普通のことで、カッコつけたわけではありません。なんでもないことのようにスマートに解決している姿を見て、自分との圧倒的な差を感じ、語学への憧れが再熱しました。
その後も台湾旅行は彼にお世話になりっぱなし。
英語と中国語を使い分ける彼を心から尊敬し、近づきたいと強く思うようになったのです。
退職、そして渡英

会社員時代のジレンマ
英語力に憧れ、仕事と英語の勉強を両立すると意気込んでいましたが、平日は夜の11時や12時に帰宅することも多くなり、学習時間を確保するのがだんだんと難しくなってきました。
先が見えない業務と、自分の時間が確保できない現状に、「このままでいいのか」と何度も思いました。
YMSビザの当選
そうした悶々とした日々を過ごしていく中、これ以上この生活をしながら英語力を向上させるのは困難と判断し、留学を検討しました。
すると、2年間滞在することができ、就業や就学規則がないイギリスのYMSビザの存在を知ります。
年間1000人しか日本人には発行されないビザで、完全抽選制。何度応募しても当選せずに制限年齢を迎えてしまう人もいる中、幸運にもまさかの一発当選。
この瞬間僕の気持ちは完全にイギリスに飛び立ち、退職を秒で決意することとなります。
憧れのイギリス生活
こうして僕は「なりたい自分」を目指し、大企業ブランドを放り投げ、コネもスキルも何もない状態で、単身でイギリスに行きます。
このブログを見ている人の中には、学生時代英語を勉強してこなかったことを後悔していたり、憧れはあるものの、今の生活を捨てて海外に行くことが怖い人もいると思います。
僕自身、英語を勉強してこなかったことは反省すべき点ですが、学生時代にサッカー部の活動を最優先にしてきたことは、全く後悔していません。
英語が重要なことくらいは当時から知っていましたが、当時は何を言われてもきっと、サッカーだけを頑張るという選択をしていたと思います。
だからこそ僕は、一度社会人を経験してからでも、英語を勉強することを諦める必要がなく、手遅れではないということを証明したいです。
2年後の28歳になった時、体育会出身×大企業出身×英語力の三拍子を揃え、今よりも何倍も価値のある人間となることを目指します。